キッチンユキのトンカツカレー【金沢カレー発祥】

キッチンユキのトンカツカレーを食べてきました。

スーツさんの動画で紹介されていたカレーです。

当サイトの動画

スーツさんの動画ではありませんが、ユーチューブに上げた動画です。

金沢カレーの中で、最も整然と盛り付けされているのは、キッチンユキのカレーだと断言できます。

お皿の全体にご飯が盛られています。

右側の部分はカレーだけではなく、カレーの下にライスがセットされています。

金沢カレーの解説資料がありました

kbk

金沢で昭和41年から続く伝統の味、だそうです。「狸茶屋」も「レストランニュー金沢」も昔すぎて、どんな店だったのか良くわかりません。このキッチンユキ自体も相当古い建物です。どう考えても昭和時代の建造物です。

そんなに辛くはないので、辛いのが苦手な人でも安心です。

食べログのコメントより

https://tabelog.com/ishikawa/A1702/A170203/17001087/

金沢カレーの歴史を辿る旅。

こちらもまた金沢カレー成立の鍵を握る重要なお店。
金沢カレーが、洋食文化の伝統の中から生まれ培われてきた、そのことを今に伝える老舗洋食屋さんです。

「キッチンユキ」

まず、お店が巨大。
東京でこのスケールの洋食店って存在するのかしらってなくらい巨大。
家族でクルマに乗って洋食を食べに行く、そんな昭和のワクワク感が伝わってきます。

外観も巨大なら、厨房も壮観。
コック帽を頭に乗せたベテランシェフたちがズラリ並び、無駄のない動きで調理を続けています。

客席シートはモダンでハイカラなブルーグレー。
たくさんのテーブル席が規則正しく並ぶさまは、70年代のオシャレなフランス映画か、SFに出てくる宇宙ステーションのよう。

「キッチンユキ」の創業は1966年。
創業者は、宮島幸雄氏。

金沢カレー黎明期を支え、現在老舗と呼ばれるカレー店を興したシェフたちがみな、かつて「レストランニューカナザワ」の同窓だったことは良く知られています。

その初代チーフコックこそが現「カレーのチャンピオン」創業者であり、金沢カレーのスタイルを確立したとされる田中吉和氏だったのですが、実は宮島氏はそれより前、金沢の伝説的洋食店「狸茶屋」の厨房において既に田中氏と共に働いており、「ニューカナザワ」においてもサブチーフを務めるなど、互いに切磋琢磨する仲だったようです。

1961年に田中氏は独立し「洋食タナカ」を創業。
そのカレーが人気を呼び、1963年ころまでには現在の金沢カレーの原型となるスタイルが確立していたようです。
「洋食タナカ」のカレーレシピは「ニューカナザワ」の同窓であった今度忠氏に伝えられ、1964年、金沢カレー初の専門店「インデアンカレー」が誕生。

続いて1966年、金沢駅前に「キッチンユキ」が誕生します。
「キッチンユキ」創業にあたって「洋食タナカ」「インデアンカレー」に共通するレシピが宮島氏に伝えられたという話があります。
カレースタイルの共通性、シェフ同士の親交から察するに、きっとそのような情報交換はあったのでしょう。

けれどもそれがすなわち、宮島氏が田中氏のカレーをそっくり真似たということではないのかもしれません。

長きにわたり共に切磋琢磨してきた両氏。
「ニューカナザワ」時代に提供していたカレーは今の金沢カレーとは全く別のカレーだったようです(レシピが記録に残っています)が、その前の「狸茶屋」ではどんなカレーを出していたのでしょう?
その頃気鋭のシェフだった両氏は、厨房でどんなカレー談義を交わしていたのでしょう?

興味は尽きません。

「キッチンユキ」では、自店のカレーを「ブラックカレー」と呼んでいます。
実はこの名前、日本洋食のパイオニアであり、田中氏がかつて修業した「東洋軒」のカレーと同じ。

田中氏、宮島氏の交流の中で、洋食に対する互いの研鑽があったのではないでしょうか。

現在でも「チャンカレ」の社員が、金沢カレー黎明期の良き空気を守り続ける貴重なお店として「キッチンユキ」を訪れ勉強するといいます。
金沢の洋食文化が生んだ独特のカレー、そのルーツを語る上でこの店は外せないお店なのです。

「キッチンユキ」の魅力は、その料理バリエーションの多さ。

カレーだけでない、独特な金沢洋食の数々。
それらをいろいろな組み合わせで楽しむことができるんです。

どれにしようか、ワクワクしてしまいますね。

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Posted by @erestage