東ローマ帝国

東ローマ帝国とは

テオドシウス1世がローマ帝国の東半分を長男「アルカディウス」、西半分を次男「ホノリウス」に相続しました。その東側の部分を「東ローマ帝国」と呼びます。当然ながら西側の部分は「西ローマ帝国」になりました。
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いつごろできたの?

西暦395年です。ただし、その後も両帝国の政府、市民は自分の地域を「ローマ帝国」と呼んでおり、「東ローマ帝国」「西ローマ帝国」という呼び名は後世に使われるようになった用語です。日本でも「東日本国民」「西日本国民」と名乗る人が滅多にいないのと同じですね。

西ローマ帝国はどうなったの?

滅びました。東ローマ帝国も最終的に滅びましたが、西ローマ帝国が100年程度で滅んだのに対して、東ローマ帝国は1000年以上にも渡り存続したのです。そのため、東ローマ帝国のほうがよく出てくるのですね。

ギリシア火薬

東ローマ帝国が存続できたのは他国からの侵略を退ける軍事力を有していたからです。その一つが西暦672年ごろに開発された「ギリシア火薬」です。10世紀初期までの間、軍事的優位を確立していました。火薬とはいっても爆弾ではありません。火炎放射器の一種であり、船舶への装備のほか、携帯型火炎放射器も造られました。当時の船舶は木製であったため、火炎放射器の効果は絶大なものだったのです。

コンスタンティノープル

東ローマ帝国の首都「コンスティノープル」は1453年4月にオスマン帝国に滅ぼされるまで、それなりに栄華を誇っていました。現在はトルコのイスタンブールにあたる位置に存在します。なんとなく、東ローマ帝国のローマの響きからイタリアに首都があったのではないかと勘違いしますが、実はトルコに首都があったのです。

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Posted by @erestage